こんにちは!市民ライターのみちたです。
まち歩きしながら、まちの成り立ちを探る冒険の旅。
後編となる「その2」です。
引き続き、風の流れと水の流れ、地形に注目しながら、このまちの移り変わりを探っていきましょう。

南町から続く一方通行の通りは八日町で県道 26 号とぶつかります。風は左折方向(北西) から吹いているようですが、一旦、右折して、ちょっとだけ「より道」を。まちのシンボル、 安波山から続く丘陵の先端、直角カーブが、かつて海に突き出した岬だった名残りである横 丁山に登ってみましょう。さて、横丁山から、八日町、三日町の通り(三八通り)を見下ろすと、

ご覧の通り、市役所前の通りは、南側は笹が陣の丘陵。北側は安波山から続く丘陵にはさまれたまっすぐな谷であることがわかります。
北西から吹き込む風は、細長い谷を通ることで、風をあつめて、さらに強い風となり内湾へ。港からの船出をブースト(後押し)するような「ダシノカゼ」として機能したのです。現在のまちの中心である三八通りは、「風の通り道」だったのです。気仙沼が、なぜ港町として栄えたのか? 前編でお伝えしたように、周囲を山や丘陵地に囲まれ入り組んだ入り江や湾であるリアス
の地形が天然の防波堤のような役割を果たし、嵐の際も、湾内は安全であることです。現在でも台風などの際に、気仙沼港は多くの船が避難してくる安全な港として知られていますね。
一方で、動力のない帆船が主力だった時代、船出のためには必要な強い風が、背後の北西の谷から、南東へと開いた港へ吹き込んでいました。
気仙沼は、風除けの山や丘に囲まれながら、船出に適した良い風が吹き込む「風の谷」を埋め立てて造られた港町なのです。
さて、埋め立てのはじまりはどこなのか?冒険の旅はさらに続きます。
道は、一関方面に向かう国道 284 号と、仙台方面に向かう県道 26 号との三叉路に至ります。

角にはかつて、味噌や醤油を扱うお店だった名残の残るレトロな建物。 さらに少し先まで足を延ばすと、
開渠された水路が姿を表しました。両側の丘陵地の、あちこちの小さな谷から水をあつめて、 水路は勢いよく流れ、海へとつながっています。

開渠部分には、家ごとにプライベートな橋、いわゆる「マイ橋」があるのも良い風景です。

ところで、水が流れる場所ってどういうところでしょう?
水は高いところから低いところへと流れるもの。つまり水路が流れる一帯は谷の底だった 場所。ここも、かつては海だった場所の痕跡なのです。
お肉屋さんがやっている焼肉の名店や、出前もうれしい町中華のお店。そしてジャズが流れ る銭湯に、スナック。昭和の風情が残る「新町(あらまち)」は、江戸初期に埋め立てられ た新しい土地です。新町ができたことで、それまで浦町と言われていたところは「古町(ふるまち)」へと名前を変えたのです。
「浦町」というもとの町の名前も、水際の土地、入り江であったことを伝えていますよね。 北野神社参道付近から、周囲を見渡してみましょう。

どうでしょう?古町、新町界隈も、周囲を丘に囲まれた谷であることがよくわかりますね。
実は、古町、新町、三日町全域が、元々は「細浦」と呼ばれる細長い入り江(海)だったの です。北側の丘陵地と、南側に伸びていた「長崎」と呼ばれた半島状の地形との間にあった、 リアス(溺れ谷)の入り江だったのです。
さて、風が吹いてくる北西の方角には、何があるでしょうか?

気仙沼に冬に吹き付ける西風は、室根山から吹き下ろす「室根おろし」がその正体。風は山 を下り、谷を抜け、海へと吹き込んでいたのです。
このまちの成り立ちには地形と地形によって生み出される気候が密接に関わっています。
「ならいの風」は、まちに利益をもたらすだけでなく、災害を起こすものでもありまし た。そして現代に続く産業にも大きな影響が…。
などなど、まだまだ話は尽きませんが、そろそろこの辺で終わりにしたいと思います。
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みちたさんも執筆したおすすめ本
こちらの記事の執筆者でもある、みちたさんが寄稿している書籍「東日本スリバチ地形まち歩き」(学芸出版社)。2026年1月に刊行された新刊です。こちらには、なんと気仙沼のまち歩きガイドも載っています!
地図作家の杉浦貴美子さん作成の3D地図も地形のイメージを掴めて楽しいです。この記事に興味を持たれた方にはぜひおすすめの一冊!この本を片手にまち歩きをしてみてください。また、昨年開催された、この書籍をベースにしたツアーが今年も企画される模様です!そちらもお楽しみに!
書も持ち、まちへ出よう!




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