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歩いてみよう!気仙沼の歴史スポット紹介! | 【テスト】気仙沼の観光情報サイト|気仙沼さ来てけらいん

教えて〇〇先生!

歩いてみよう!気仙沼の歴史スポット紹介!

みなさん、こんにちは!私は気仙沼にある「リアス・アーク美術館」で学芸員をしている萱岡雅光です。
これまで、気仙沼の食文化や漁業文化について記事を書いてきました。
過去の記事についてはこちらからご覧ください!

今回のテーマは…

NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が佳境を迎えていますね。そこで今回はドラマに関係ありそうなものを中心に、気仙沼の歴史スポットをいくつかご紹介します。
田束山(たつかねさん)は、気仙沼市と南三陸町にまたがる、標高約512mの山です。古くから聖なる山として信仰の対象とされてきました。頂上には、11基の経塚が残っています。経塚とは、仏教の経典を未来に残すために築いた塚で、いわばタイムカプセルのようなものです。築かれた時代は平安時代末期で、奥州藤原氏が関わっているとされ、山中には他にもまだ関連の遺跡が眠っていると考えられています。ぜひ、千年の歴史に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。アクセスなどはこちら

田束山に経塚を築くほど、奥州藤原氏にとって当地域は重要な場所でした。それは、当地域が良質な砂金の産地であったからと考えられます。北上山地南部は日本有数の産金地域です。有名な「モンスターゴールド」を産出した「鹿折金山」など、金にまつわる様々な歴史、文化、史跡があり、「みちのくGOLD浪漫」として日本遺産に認定されています。詳しくは日本遺産ポータルサイトをご参照ください。

赤岩城跡

繁栄を極めた奥州藤原氏でしたが、1189年、源頼朝を中心とした武士勢力によって攻め滅ぼされます。東北に住む私としては、平泉を舞台にした戦のシーンを楽しみにしていたのですが、「鎌倉殿」ではナレーションの「圧勝」の一言であっさり決着(笑)。戦後、奥州藤原氏の支配地は功績のあった御家人達に領地として分配されます。 彼らは各所に拠点を作り、中世を通じて東北に移住、分家し、一族を増やしていきました。
気仙沼には1223年、熊谷直宗が赤岩城(赤岩館とも)を築いて移住しました。熊谷直宗は、「平家物語」における平敦盛との一騎打ちで有名な武将、熊谷直実の孫にあたります。「鵯越の逆落し」も含め、これらは物語的脚色が否めないエピソードなのですが、「鎌倉殿」では巧みな脚本でこれらのエピソードをかわしつつ、史実とフィクションの両立に成功し、一ノ谷の戦いは決着(笑)。仕方ないとはいえ、少し寂しかったのでここで無理やり紹介しました。ドラマを見ていない方、すみません。

▲赤岩城跡

赤岩城の場所は気仙沼市松川。Google mapで「赤岩城跡」と検索し、航空写真を見てみると城(館)跡であることがよく分かります。赤岩城の周辺には、同じ熊谷一族の「月館城」、「中館」の跡があります。普通に見るとただの山にしか見えないですが、現地を歩きながら城(館)跡として見てみると面白いです。登ることも出来ます。解説板なども整備されており、緑の季節の軽い登山にもおすすめですよ。

気仙沼は現在でも熊谷さんが多い地域です。他にも千葉や三浦、畠山、梶原など関東の武士がルーツと思われる名字の家も少なくありません。熊谷さんや三浦さん、梶原さんが現代の気仙沼で仲良くお酒を飲んでいる場面を見ると、なかなか感慨深いものがあります。

梶原神社・早馬(はやま)神社

ここまで、必死に大河ドラマと結びつけようとするものの絶妙にすれ違ってきたわけですが、唐桑地区石浜にはその名もズバリ、「梶原神社」があります。
江戸時代に書かれた地誌類や社伝では、梶原神社は梶原景時の兄、梶原景実による創建と伝えられています。ここでは解説や考証はせず、紹介に留めます。梶原神社の由緒や早馬神社について詳しくは神社のwebページをご参照ください。

▲梶原神社

祭神は源頼朝、梶原景時、梶原景季。拝殿には、「しとどの窟」で頼朝を景時が見逃した場面を描いた絵馬が掲げられており、必見です。

▲早馬神社

早馬神社は地元漁師さんからの信仰も厚いですが、特に安産・子育てにご利益があることで有名です。アクセスや駐車場についてはこちら
さて、ここからは江戸時代以降の歴史スポットについても簡単に紹介します。

煙雲館

気仙沼松岩には、江戸時代、鮎貝氏の居館であった「煙雲館(えんうんかん)」があります。鮎貝氏は伊達家に古くから仕えてきた、仙台藩でも家格の高い武家です。煙雲館には見事な庭園があり、国の名勝に指定されています。自然の地形を活かした作りで、特に池にある中島が大きい点、沿岸丘陵地にあるため海への眺望が取り込まれている点が特徴です。見学には事前予約が必要です。詳しくはこちら

▲煙雲館。庭園からは海が見える。

久須師(くすし)神社

江戸時代、気仙沼は廻船業によって栄えました。例えば、安波山は気仙沼の定番眺望スポットですが、その名前の由来となった「あんば様(=大杉神社)」を勧請してきたのも、廻船商人達でした。廻船商人の中でも特に目立つ活躍をしたのが、大島の田丸家です。田丸家は寺社への寄進や飢饉時の救民といった社会貢献を積極的に行いました。その例を大島の久須師神社で見ることが出来ます。久須師神社には田丸家が奉納した石灯籠が現在でも残っています。廻船業についてはこちらの記事「早分かり!気仙沼の水産加工と流通の歩み」もご参照ください。

▲久須師神社の石灯籠

大島には他にも大島神社など、様々な史跡・名所がありますので、一緒に回ってみてください。こちらの記事もチェック!「海を車で渡って行く大島ドライブ

多彩な歴史的建造物

気仙沼内湾地域では大正・昭和の2度の大火災によって建物の多くが焼失しました。その復旧・復興の過程において内湾地域には各地から技術者が集まり、モダンな建築物が多く立ち並びました。そのため東日本大震災前には、大正・昭和初期・現代に建てられた、多彩な建物が混在する魅力的な景観を誇る港町でした。震災を経て流失、解体されてしまった建物も多いですが、修復・再建されているものもあり、国の登録文化財となっています。個性豊かな歴史的建造物を歩きながら巡ってみてください。詳しくはこちら「気仙沼風待ち復興検討会」。

▲風待ち地区にある建造物の一つ「千田家住宅」

おわりに

最後に紹介したい歴史スポットは、「変わりゆく現在のまち並み」です。東日本大震災による津波によって気仙沼の風景は一変し、歴史ある建物も多く流失しました。歴史的町並みや、有名な史跡等が沢山残っている他の観光地の方が、歴史好きの方には魅力的に見えるかもしれません。しかし歴史上、気仙沼のまちは災害の都度、作り直されてきました。震災前の歴史ある町並みも、そのように形成されてきた景観だったわけです。 そう考えると、今まさに造られている新しい建物や町並みもまた、東日本大震災という「歴史」により生み出された、歴史的建造物・歴史的景観であると言えます。ここまで急激に町並みが出来ていく過程に立ち会える観光地はそう多くないのではないでしょうか。歴史が好きな方、そうでない方も、ぜひ気仙沼に何度も足を運んで、「歴史が生まれる過程」を楽しんでいただければ嬉しいです。

▲2017年の内湾地区


▲2022年の内湾地区

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